掲示版←「版」の字に反応するのはシネスケ通のレベル4だ

本当はこの文章は昨日ほとんど書いてたワケで昨日アップするはずだったんだが色々あってな。しかも調子わるくてな。ってわけで、いま、ちょっとだけ手直ししてアゲ。あんまり愉快な内容でもないのがちょっと痛い。

久しぶりにシネスケ掲示板で論議が交わされている。かつて何度となく交わされた「このコメントは倫理上まずくないか?」みたいな議題。まあ、素人が各自の判断の範囲で好き勝手に書ける場所における、書いていい事と書いちゃまずい事の線引の問題ってヤツだね。あっちの掲示板だと自由に書けないし、結論が曲がるので、こっちで好き勝手に書かせてもらおう。




簡単に結論を言えば


書く本人の判断って事になるだろう。まあ、それを前提にした批評空間なんだからあたりまえなんだけど。


書いてる本人に悪意がないわけだから「書くな」って言う方が無理がある。シネスケ内に公正に選ばれた「コメント倫理委員」みたいなのがあって、そこがコメントの削除権を持っているとかになれば別だが、そんなものは無いわけで、その判断は書き込む本人の「これはマズイか?」といった制御に委ねるしかない。実際、この書き込みはマズイだろってな内容のコメントなんて、今回のコメントに限らないわけで、さらに、コメントで揶揄されている本人ならまだしも、そのファンの気持ちにまで倫理を持ち込むとなれば「批評」そのものが成り立たなくなる。オレのコメントだって削除されまくりだ。「ブッシュはバカだ」は許されてコレは許されないのか。不条理だゾ(あ、事実は揶揄にならないのか?)。

もっと極端に言えば、このネットの世界でたまーに「○○競技場に爆弾をしかけました。ケケケ」とか冗談で掲示板に書き込んだら逮捕騒ぎに発展しちゃったみたいな「無自覚」っていう事件が起きる事がある。これはもう、ほら、本人は冗談のつもりだから、書いちゃいけない事なんだっていう意識がなかったって事ですよ。これを「書くな」って言っても「いいじゃん、冗談なんだから。冗談通じねえなあ。」と返されるだけ。だから、「書くな」っていうのは意味が無い。議論するレベルじゃないから。一気に「逮捕される」とか「訴えられる」とか実行されるしかないんですよ。何かしら、そうゆうアクションがあって初めて「あ!これは書いちゃいけない事だったんだ!」と本人も自覚するわけです。

んなワケで「松尾スズキ小島聖とデキてる」と一素人批評家が勝手な憶測で言うレベルの暴言(影響力が数百人程度)は「ほっときましょう」という結論になるわけですね。あとの判断は松尾スズキ小島聖に任せた!訴えちまえ!ま、ファンとして「ファンのココロを激しく傷つけ、しかもその誹謗中傷部分の削除依頼に対しても明確な理由もなく削除出来ないという回答に更なる精神的不快感を与えられた」として裁判に訴えるってのはどうだろう。たぶん、却下されるけど。スッキリはするかもしれないぞ。仲間を集めればなんとかなるかもね。
ま、「松尾と小島がデキテルんじゃねーの?」という発言と「クドカンシネスケのコメントを揶揄してる」っていう発言は一素人の推測による好き勝手な発言という意味で同レベルなんだけどね。「パンチラ」だけでそこまで想像できるのはある意味スゲーっていうか。ホシヒコ氏も光栄っていうか>違?



まあ、誰であろうが「広末涼子なんてクソだ!」という輩はブッコロスわけだが。←常識




しかし、あれだな。


現在の通常の社会常識的には「他人を誹謗中傷している」という「いけない行為」を指摘しただけなのに、ほぼ全てのレスが反対意見ってのがスゲー。また、そのうち、こーゆーのをよってたかって「常連コメテによるイジメ」とか言う勘違い的反感(要は煽り)を産む。みんな仲良しに見えるだろうな。なわけねーじゃん(笑

新規コメテ登録がいつの日になることやらって状況だが、新規コメテが入ってくれば、またいつかこの問題は繰り返す。そしてまたその時の常連コメテによって「書いたっていいじゃん!」を繰り替えす。ああ、堂々巡り。



と、いま、よく考えてみたら、シネスケ掲示板って会員じゃないと見れないんだっけ。いやぁ、会員じゃない人にはさっぱり判らん日記になってもうた。ごみんに。

要約すると、『恋の門』という松尾スズキの初監督作品がありまして、それを評した某コメテの使った言葉に文句がついた、と。


とりあえず、映画みてから語りな!って事か?あー、見るかなぁ・・・・・たぶん、ずっと先に。そんな事もあったねぇーなんて頃に。